Nosemantik Max

子供の都合悪いことスルー力は見習いたい (NM)

足踏み中

ライプチヒの研究室は、アイデア重視というか、それほどげんごがく的な実力がなくても、アプローチの仕方が面白ければいいじゃんって感じだったけど、メルボルンの研究室はアイデア以前に言語記述に関する基礎能力が、そのまま実力差となる。院生もポスドクも未開言語の筋金入りのフィールドワーカーであるため、教科書と辞書で言語を学んだ僕なんかとはレベルが違う。正直、落ち込んでいます。
今現在、マイナーな格についてのデータを収集してまとめているのですが、なかなか進捗していないです。いくら書物でいろいろな言語の格の用法を調べても、マイナ言語の文法をフィールドワークしてきた人の主張と比べると見劣りします。そのため、データの検証やアイデアの再構築で作業が進みません。理論がどうこう以前に自身の構想の甘さばかりが出てきてしまいます。
僕はもともと頭がそれほど良くないし、自信家でもないので、仕方ない面もありますが、研究で世界を渡っていける人とそうでない者の差を実感した感じです。とにかく、げんご学の基礎能力(音韻、形態、頭語)、そしてマイナー言語でもメジャー言語でも、当該の言語の文法をしっかり勉強すること、そして母語である日本語文法(できれば古典文法も)をしっかり頭に入れておくことは大前提です。僕は上記の基礎能力が足りなくて、それなのに理論の方の論文を読んでばかりいたのが失敗でした。
それをカンペキにしてはじめて、理論や実験、分析に取り組むべきかと思います。僕はこのことに気づいたのは遅かったですが、院生やこれからの若い人は目先の学問的流行にとらわれず、基礎能力の鍛錬をしてください。あと、げんご学をやる以上、言語はしゃべれてナンボです。そのコミュニケーションという観点をはずすとやっぱりまずいと思います(別に語用論をやれといっているのではないです、でも語用論の考え方を頭に入れた上で考えることが必要であると思います)。
日本に戻ったら、研究職以外も視野に入れて就職活動がんばります、もう駄目かもしれないけれど。
その後、上のように書いてみたものの、今日のゼミに出た限りでは、上のレベルの人との差ってのは追い越せるレベルではないけれど、絶望的でもないような気がしてきた、もう少しだけちょこちょこ動いてみっか。