Nosemantik Max

子供の都合悪いことスルー力は見習いたい (NM)

古典を学ぶのはなぜ

ブックマークで気になったんで考えてみる.
その昔,某欧国の大学の日本語学科の学生はこういった.日本人の先生が授業で古典日本語ばかり教えてつまらない,学生らはすぐに役立つ日本語(就職に使える会話)を学びたいのにと.当時は,その先生の選択にもなるほどと思いつつ,学生の主張もなるほどと思った.(相方も中国の某大学の日本語専攻だが,やはり古典文法の授業はあり,かつつまらなかった模様).
当然,日本の中学・高校においても,さらには大学でも若干,古文漢文の授業はある.
さてさて,僕的には「ものごとを広い視野で見れる」という点で古典は学ぶべきだとは思うが,(つまらなくなるほどの)やり過ぎはいけないかなと思う.専門のげんご学においても,僕はパーニニを読んでないし,トルベツコイやヤコブソンも読んだものの消化しきったとは言えないし,ブルームフィールドやチョムスキーについても目を通した程度だ.ただ,折に触れ,複数のげんご学史の本を読み,今一度自身の研究を学史の流れから見ている.こういうことが必要かどうか,役に立つかどうかというと,どちらかと言うと否なのだが,学史を読んでみると心の安定にはなるかなとは思う.結局,センター試験で出るという点はのぞき,中高の古文・漢文もその程度のものなのかもしれない.もちろん,100年・1000年以上読み継がれているものには,なにがしかの人生のヒントがあるのかもしれない(なら,現代語訳だけ読めばいいだろうと言われると...).